2002 CLASH BOWL チーム紹介 法政大学 |
法政大学 | ||||||||||||||||
1934年同好会として発足。翌35年連盟加盟。立教・明治・早稲田・慶応・日大とともに戦前に創部した関東古参6校のうちの1校。72年には甲子園ボウル初出場、初優勝を果たすが、80年代は低迷。日大全盛の90年QB今手を擁しフリーズオプションを導入、92年20年ぶりの関東制覇、以降90年代の「法政時代」は周知のところ。 2000年は28年ぶりの甲子園ボウル単独優勝、真の「学生王者」となる。94年以降関東リーグ8連覇中で日大(77〜84年)と並んでタイ。今季最長記録に挑む。同期間の関東リーグ公式戦ではわずかに2敗、関東大学選手権を含む関東リーグ内公式戦での連勝は現在37となっている。 大森 廣行 監督 兄がフットボール選手であったことからライバル意識に燃え、後を追うようにフットボールを始める。正則高校時代から一貫してQBとして活躍、法政大学4年次に主将も務める。卒業後はコーチに就任し、72年の学生日本一に貢献した。86年母校の低迷に2度目のコーチ就任。仕事の関係などにより一時チームを離れ、外からチームを応援し続けていたが、95年に監督就任。学生の自主性を尊重しつつも、小松・青木両助監督、高田ディレクターらとの集団指導体制で関東リーグ連覇を続ける。97年、2000年は学生日本一へと導いた。 <今季の戦い> 90年代、チームの代名詞となっていた「オプション」中心の攻撃は、ここ数年でスタイルを一新。多彩な隊形からシフト、モーションを多用し、豊富なタレントをフルに活かしたマルチアタックへと変貌を遂げた。 守備の安定感も随一だろう。喪失距離は約250ヤードと至って平凡だが、特筆すべきは平均7点という失点の少なさ。@井芹の安定したパント、Aターンオーバーが6試合で2回と攻撃のミスが極めて少ない、という2点で常にフィールドポジションが良いこともあるが、やはり主将・鷲井を中心とした守備陣の健闘の成果で、特にゴールラインを背負った時の集中力の高さは他校に類を見ない。 ブロック内の戦いぶりは「磐石」の一言。関東学院戦で川添のパスに若干てこずった他は、全く危なげなかった。攻撃もプレーパターンを絞っている感があり、クラッシュボウルに向け不気味ささえ漂う。セーフティーリードの試合では控え選手も随時出場、層の厚さも他校に抜きん出て増すばかり。強いて不安材料を挙げるとするなら、「接戦を経験していない」ことくらいか。 4年連続のブロック全勝通過、プレーオフには8年連続出場。 <チーム記録>
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