2002 CLASH BOWL

チーム紹介  早稲田大学



早稲田大学
 1934年(昭和9年)創部。立教、明治とともに日本最古チームのひとつ。戦前に3度の優勝を飾るが以後タイトルに縁がない。戦前創部6校(他に慶応、法政、日大)の中で唯一「甲子園」の土を踏めないまま69年目のシーズンを迎えることとなったが、日野監督就任後の組織改革で汚名返上、「常勝集団」への変貌をテーマに日々の練習に励む。
 48年に日本で初めての「T」隊形を導入するなど、海外交流に最も積極的に取り組んできたが、70年代初頭までは2部経験を含め低迷。80年代に入ってからは付属高校の成長もあり躍進。徹底的なウェイトトレーニングで「パワーハウス」の異名をとり1部中位以上をキープしたが、96年に再び2部落ち。再起を期して昇格した98年、初戦で王者・法政を下すものの3位に終わる。以後、常に2位以上に手がかかりながらも、序盤戦での敗戦が響き、プレーオフ進出を逃してきた。

日野 庄弥 監督
 石巻高校(宮城)時代、硬式野球で培った運動能力を試すべく、77年入学後すぐに米式蹴球部に入部。現役時はパワー派のLBで守備の要として活躍、4年次には主将を務めた。卒業後は、笹嶋元監督、楠本前監督の下で、仕事の都合がつく限りのほぼ全期間にあたる約15年のコーチ経験を積み、昨01年に監督就任。20代中心の若手コーチ、そして選手との一体感を重んじ、チーム運営に当たる。「走り負けない」、「最後までやりきる」という指導方針が2年目にして結実、チームを悲願のプレーオフ初出場に導いた。

<今季の戦い>
 初戦でライバル・慶応を難なく下したものの、そこで油断が生じたのか、注意してきたはずの下位チームへの取りこぼしを防げなかった。第2戦の帝京戦では、守備がショットガンに対応できないまま、攻撃がミスを連発し自滅した。
 プレーオフ自力出場のためには「もう1敗もできない」状況に早くも追い込まれた第3戦の筑波戦では、過去2連敗中の苦手意識を払拭し、圧勝した。
第4戦は19年間勝ち星のない苦手・専修が相手。序盤から、攻守に渡り相手を圧倒し、第3Q終わって20点のリード。しかし、粘る専修が猛追、3TDで終了間際に逆転されるという悪夢を味わった。
 既に2敗し自力出場のなくなった第4戦は、攻撃力では関東No.1、ここまで全勝の日体大。前節のショックを引きずったのか前半はいいところなく、17点のビハインド。ところが後半になって生まれ変わり、攻撃は34点をもぎ取り、守備は零封。前週の鬱憤を晴らすかのような大逆転劇で望みをつないだ。
 最終・東海戦は、獲得距離、ファーストダウン、ボール所有時間とも完全に東海に上回られながらも、守備がゴール前で奮起。何とか逃げ切った。
まさに「他力本願」の状況となった直後の日体−専修戦で、日体が敗れともに2敗。直接対戦結果から、プレーオフ初出場が決まった。

<チーム記録>
得点 33.2点(4位)
失点 18.0点(3位)
ラン攻撃 282.0ヤード(3位)
パス攻撃 92.0ヤード(12位)
攻撃トータル 374.0ヤード(4位)
ラン守備 175.0ヤード(8位)
パス守備 168.2ヤード(10位)
守備トータル 343.2ヤード(9位)
※カッコ内は1部14校の中での順位です。



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