2005 CLASH BOWL チーム紹介 法政大学 |
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1934年同好会として発足。翌35年連盟加盟。立教・明治・早稲田・慶応・日大とともに戦前に創部した関東古参6校のうちの1校。72年には甲子園ボウル初出場、初優勝を果たすが、80年代は低迷。91年QB今手を擁しフリーズオプションを導入、春季ながら当時日本選手権3連覇中の日大を破り話題を呼んだ。92年20年ぶりの関東制覇、以降90年代の「法政時代」は周知のところ。94〜01年の関東リーグ8連覇は日大(77〜84年)と並んでタイ記録。甲子園ボウルでは、97年関学と引き分け同点優勝。2000年はその関学を破り90年の日大以来となる関東の単独優勝。計3度の学生日本一に。出場回数は12回。 大森 廣行 監督 兄がフットボール選手であったことからライバル意識に燃え、後を追うようにフットボールを始める。正則高校時代から一貫してQBとして活躍、4年次に主将も務める。卒業後はコーチに就任し、72年の甲子園ボウル初出場、初優勝に貢献した。86年母校の低迷に2度目のコーチ就任。仕事の関係などにより一時チームを離れ、外からチームを応援し続けていたが、95年に金井前監督の後を受け監督就任。学生の自主性を尊重しつつ、小松・青木両助監督、高田ディレクターらとの集団指導体制で関東リーグ8連覇を成し遂げ、97年、2000年は学生日本一へと導いた。 「今年は、チーム創部70周年を迎えて記念の年であります。チームの目標は、学生チャンピオンに成る事です。その為に一年間一生懸命全員で頑張ってきました。夢を実現する為に、クラッシュボウルでは全員で持っている力を出し切り悔いの無いゲームにしようと思っております。」 <今季の戦い> 今季クラッシュボウル出場最右翼として挙げられていた法大。初戦より危なげない試合で全く他を寄せ付けなかった。勝てばクラッシュボウル出場が決まる日大戦、前半終わって11点のビハインドを背負うが、後半守備陣は日大ショットガンを完全シャットアウト、攻撃陣はショットガンからセットバックに戻し後半だけで43点をもぎ取った。接戦でも強さを発揮し、最終節を待たずしてクラッシュボウルへの切符を手にした。また、エースナンバー#29を受け継いだ丸田が今季大暴れ。1シーズンで1178ヤードを走り99年以来の1000ヤードラッシャーへ。また、K#57飯塚が4年間通算20本のFGを成功させ歴代2位の記録を産んだ。爆発力のある法大の得点力を支える2大ポイントゲッターとして大舞台でも活躍が期待できよう。 <中心選手>
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